スポーツミュージカル「energy」~笑う筋肉~

RYOJI NAKAMURA

【作・演出・振付】
中村龍史

中村龍史

中村龍史(なかむら りょうじ)
演出家・振付家・エンターテインメント作家

1951年上野生まれ。劇団四季の4期生を経て俳優修行。
1981年、コンサートの構成・演出・振付を一人で手掛ける演出家としてデビュー。コンサートに演劇的な要素を取り入れ、卓越したアイディアとストーリー性のある振付で、松任谷由実、小林幸子など、時代のアイドルからアーティストまで、数多くの舞台をショーアップし、コーラス、バンド、ミュージシャン、観客まで共に踊る、今では当たり前のようになっている観客参加型のステージを確立した。1989年には、Epic SONYからの要請で、歌って踊るアイドル集団の先駆け・東京パフォーマンスドールを誕生させた。『Popな宝塚』を目指し、吉本興行と共に大阪パフォーマンスドール、中国・上海で上海パフォーマンスドールと立て続けに手掛けた。その守備範囲の広さとクオリティーの高さから、各方面で高い評価を獲得し、その後、ミュージカル・演劇・国体の開会式(大阪なみはや国体)・日中合作オペラなどの、多岐にわたる演出・振付で300本以上の舞台を創りだしている。
2001年12月、日本発のノンバーバルの(台詞のない)オリジナルエンターテインメント「筋肉(マッスル)ミュージカル」を創り上げ、2007年の夏まで構成・演出・振付を手掛けた。日本人の創るオリジナル・ショウとしては初のラスベガス公演『MATSURI』を二度に渡り成功させた。(*2006年3月1日~4月29日リビエラ・ホテル&カジノ*2007年5月20日~11月11日 サハラ・ホテル&カジノ)
2008年から、アスリートをエンターテイナーに育成し、三世代で楽しめるステージを追求する中村JAPAN D C を主宰し、実験的な表現に挑んでいる。
2017年、演出・振付を手掛けた富良野GROUP特別公演「走る」(作・共同演出:倉本聰)は1年間のワークショップのドキュメンタリーと共に話題を集めた。現在も『笑い』と『明日への活力』をテーマにノンバーバルで身体を駆使した舞台、日本発のオリジナルエンターテインメント創りに邁進している。
2018年、スポーツミュージカル「energy」〜笑う筋肉〜の、出演者オーデイション、ワークショップを始める。

2019年、3月、「energy」クールジャパンパーク・T Tホールの柿落とし公演。 11月、同ホールにて再び「energy」公演。

2020年1月22日 逝去

 
*著書 遺伝性の病と共に生きる初の自伝『満身ソウイ工夫』
*テレビ朝日 [倉本聰作・やすらぎの郷]
  「やすらぎ体操・第一」「やすらぎ体操・第二」の作詞・作曲・振付
*energy健康リズム体操の作詞・作曲・振付

『energy』秋公演も無事に終わり、2018年から始まったワークショップ、2019年春公演を経て、この秋でメンバーも著しく成長した。
 ホッとしたと同時にこの『energy』に携わったスタッフ・キャストに心からお礼を言いたい。「バカやろーっ!」と叫びたい。「ありがとうーっ!」と叫びたい。
 ようやく、俺のマッスルヒストリーの中で、完成形に近付いた手応えがある。
 日本人が世界で太刀打ち出来る舞台は、今後も、オリジナルのノンバーバル(台詞の無い)でしかないと思っている。
 理不尽にも『マッスルミュージカル』から手を引かされ、自分で創り出した世界観を他人に掻き回される情けなさも、俺にとっては人生修行の一つとぐっと呑み込み、いつか、自分で創り出した舞台を踏み台に、信頼できる仲間と完成形を創りたいと、その時期を待っていたからだ。
 
 おもえば、2001年の夏、TBSの深夜番組「ケイン・ザ・マッスル」のスタッフからの電話で、
「番組に出演している筋肉自慢のアスリートだけで舞台を作れないだろうか?」と持ち掛けられ、都内の某ホテルのラウンジで会うことになった。
「アスリート、筋肉、身体能力の高さを使ってのエンターテインメント、台詞はいらない、身体がモノを言うのだから」俺の頭はグルグル回る。その時、横で一緒に話を聴いていた奥さんがニッコリ頷いた。「これはイケる!創りたい!できる!」
 この時から、テレビと舞台の土俵を越えて、新たなエンターテインメント創りに励んだ。
 30歳から、コンサートを皮切りにオリジナルの舞台づくりを生業にしていた俺のテーマは『明日への活力』と『笑い』である。
 彼らの身体能力だけを見たければ競技場に行けば良い。マッスルミュージカルは劇場空間で魅せるエンターテインメントである。
 体育館(稽古場)に作曲家を呼び、とび箱も縄跳びも、一挙手一投足、動きに合わせて音を作って貰う。アレンジも細かく注文し、相談を重ねる。その積み重ねが、試行錯誤が、一つの演目を産み出し、良質なエンターテインメントを創り出す。
 この創作のプロセスがミュージカルと呼ぶに相応しいし、これぞまさしく、0(ゼロ)を1(イチ)にするということだ。
 メンバーの身体能力とスタッフの忍耐力と俺の想像力から生まれた新しいジャンル、スポーツミュージカル・マッスルは、ラスベガスでも「日本からブロードウェイ方式のショウがやって来た!」と新聞を騒がせ、その年の新作部門で賞をいただいたりと高評価だった。
 宣伝不足は否めなかったが、一回目は2ヶ月、二回目は半年公演と、エンターテインメントの米国にぐっと近づいた。

 そんなマッスルを経て、中村JAPAN(主宰のカンパニー)ではアスリートにも芝居をさせ、「真夏の大運動会」「マッスル八犬伝」etc、現代劇から時代劇、マッスルパフォーマンスなど、数十本の舞台、本番を重ねて、役者、エンターテイナーに育っていった。
 その中の三人が今の『energy』のコーチ兼出演者である。
 
 マッスルから中村JAPANを経ての『energy』も、今までと同じく身体を駆使した演目を次々と送り出すレビュー形式である。これまでに創り出した演目はどれぐらいあるのか、いつもnext、nextと言い続けているので、振り返って数えたこともない。アイディア倒れもあれば、想像以上の出来上がりもある。
 ある日、トランポリンの第一人者が壁に向かって翔んだ瞬間、「そのまま壁を走ってみて!」と叫んだが、、、いささか危険なことも、本当にくだらないバカなことも一所懸命に試してみた。
 
 体内のenergyをどう爆発させるのか、ノンバーバルの表現の可能性をどう広げるのか、芸人、アスリート、ダンサー、ごちゃ混ぜのenegyメンバー、これはこれで良しと思っているが、ではいかに育てていくのか、出演者には人間力を、これまで同様、お客様には明日への活力と笑顔を届けたい。
 肉体を叩き音を奏でリズムを刻む「ボディスラップ」と、足裏全体で大地を踏み鳴らす「アースタップ」の音とリズム、これらを組み合わせて、ピアノの楽曲との掛け合いを見せた一景、出演者の集中力に期待して創ってみた。
 以前から試してみたかったので、大きな拍手をいただいて嬉しかった!次はピアノの生演奏との掛け合いだなと想像すると、ワクワクする。「まつたに〜(作曲家)〜頑張れ〜!」
 『energy』は、景と景の繋ぎが最も大事である。悪魔のように繊細に、天使のように大胆に(笑)と、呟きながら照明や音を駆使し、稽古を重ねて隙間なく繋いで行く。
 
 演劇は虚構の世界を、創り手もお客様も想像力を駆使して楽しむものだが、『energy』は大仕掛けの舞台装置も、ストーリーもない、筋肉が音を奏で、タネも仕掛けも筋肉だけだから、嘘もなくダイレクトに人の力が観客に伝わる。
 緻密なライティング、ポップな美術、繊細で力強い楽曲に誘われ、人の可能性、力、美しさ、優しさ、客席とのエネルギーのやりとりが、より一層、観客の心を弾ませる。人は人に感動するのだ!
 エンタテイナーの3大要素は、想像力・集中力・サービス精神だと出演メンバーには常々話しているし、スタッフにも、Noからは何も始まらないし、生まれないから、諦めずに可能性を探ろうと伝えている。
 俺自身、遺伝性の病で、今日に至るまで22年間、自分の手で在宅透析を続けながら、海外、国内で仕事を続けてきた。多少、面倒ではあるが、これさえやっておけば演出も振付もできる。透析中に作曲したり、ものを書くこともできる。
 疲れたら、自分のヒーローであるチャップリン、長嶋茂雄に、創作のヒントや勇気を貰い、寅さんに癒され、大好きなグミやキャラメルを口に頬張る。
 ところで、『energy』に小さな物語がたくさん仕込んであるのはお気づきかな?笑ったり、ハラハラしたりした後に、人間ってすごいなあ!と、感動し、帰りがけには最寄りの駅や愛車まで、走り出したり、側転したりするお客様が後を絶たない。上演中に皆で行うenergy健康体操で多少体を動かし、ロビーでストレッチをしてから、ヨーイ、ドン!
 劇場に入ってから出るまで、浮世の憂さを忘れ愉しんでいただきたい。
 それがザッツ・エンターテインメントだと思って命懸けで創っている。
 
 30年ほど前に、現在の吉本興行の会長、大﨑さんが中村一座を観てくださったことが縁で、吉本新喜劇、大阪パフォーマンスドール、上海パフォーマンスドールとご一緒し、2017年に敢えて、しゃべくりの吉本に、ノンバーバル(台詞のない)で身体表現のみの『energy』の企画を持ち込んだ。それが、クールジャパンのT Tホールでの公演にと繋がった訳だが、是非、アジアツアーから始まり、世界中の皆さんに元気を笑顔を届けたい!と、障害者の俺は、いつも本気で思っている。
 
 東京オリンピック・パラリンピックの開会式は、オリンピック選手の選考で落ちたアスリートを集めて、『energy』をやったらいい。
 競技場に響く数百人の「ボディスラップ」「アースタップ」。身体から発するエネルギーと音を、オーケストラとの競演で見せる、聴かせる。あるいは、競技場の円に沿って、跳び箱を適宜並べ、速いテンポで楽曲に合わせ次々翔んでいく。もっとシンプルに、数百人が一斉に並んで馬跳びはどうだ?もちろんオリジナルの音に合わせて、次々背中を跳んでいく。競技場の端から端までの大縄跳び、何人居れば、縄を回せるのか?どれもシンプルでわかりやすく愉快だ。
 ただ、シンプルなものほど、緻密に作らないと見せられるものにはならないが。

 10代の頃から、いつも「リョージのやることはわからない。非常識だ」と言われ続けたが、舞台でやってはいけないことはないと思っている。よく言えば、パイオニア、唯一無二、悪く言えば我儘勝手と。それでも創り続け、それで食べてきた。下品は嫌いだが、過去の非常識は現在の常識になっている。平成生まれの若者も、馬鹿者、と言われても己を信じて突き進め!

 先を見通しにくい世の中だから尚更、シンプルで明るい舞台『energy』を命懸けで創っていく。
 『energy』は、人間讃歌のステージだから。

R元年 8月〜師走まで   中村龍史

 

*中村龍史が入院前4ヶ月の間に手帳に書き残したメモ、パソコンに残っていたSTAGE navi(演劇誌のエッセイ)満身ソウイ工夫の下書き、オフィスひらめのHP用に書いていたものを、読みやすく整えたものです。
 その年の夏には胆管癌であることは判明していました。ただ夫と話し合った結果、11月の『energy』を完成させてからと、12月19日に手術を受けました。内視鏡で取れるものだったら体の負担もいくらか楽だったでしょうが、8時間にわたる大きな手術で、成功はしたものの、その後の経過が思わしくなく、翌年1月22日に旅立ちました。
 夫は遺伝性の病で透析を、心臓には4本のステント、脊柱管狭窄症と、まさに満身創痍でしたが、創意工夫で、大好きな舞台を創り続けました。
 稽古場も作品も常に明るく、江戸っ子らしい照れの「バカやろー!」と、誰に対しても「ありがとう!」を欠かさない人でした。お客様の笑顔を見たくて創り続けていました。
 公私共に関わってくださった方々、お世話になった皆さま、劇場に足を運んでくださったお客さま、ありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。
 
 この作品で世界中を元気にしたいと言っていた『energy』は、これからも続きます。
 リーダーを失った『energy』を、残された私たちがどう支えて行くのか、皆で知恵と勇気と経験、笑いを糧に、マッスルから始まったスポーツミュージカルを継承して参ります。
 こんな時代だからこそ『energy』で笑顔と元気をお届けできれば幸いです。
 劇場にイベント会場に足繁くお運び下さいますよう、スタッフ・キャスト一同、笑顔でお待ちしておりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
 
 中村龍史の肉体は消滅しても、彼の魂と作品は永遠に不滅です。

R 3年  オフィスひらめ代表  中村留美子